1923年11月5日、大阪の帝塚山で生まれた小説家。
同じく小説家の佐藤紅緑を父に、女優の三笠万里子を母として生まれる。
異母兄に詩人のサトウハチロー、脚本家で劇作家の大垣肇がいる。
1969年直木賞「戦いすんで日が暮れて」
1979年女流文学賞「幸福の絵」
2000年菊池寛賞 佐藤家一族の歴史を描いた大作「血脈」 などを受賞。
西宮とのかかわりとしては、現在の甲子園警察署の北にある西畑公園あたりに父佐藤紅緑の家があり、ここで育っている。
『これが佐藤愛子だ』の中で、『私のふるさとは兵庫県の「鳴尾」である。私がそこにいた頃は「武庫郡鳴尾村字西畑」といった。だが今はそこは西宮市という。鳴尾が西宮市という名称に変わってから、そこは私のふるさとではなくなってしまった。』と書いている。
佐藤愛子がいた近所には、森繁久弥の生家・菅沼家をはじめ、多くの文化人が住んでいたことから『文化村』とも言われていたようだ。
佐藤愛子は、紅緑が本妻と離婚後に女優三笠萬里子との間に生まれた一人娘であった。
西宮から甲南高等女学校へ通っていたが、在学中は男子生徒の注目の的で、その中の一人には作家の遠藤周作氏もいたという。
1973年(昭和48年)鳴尾小学校100周年記念で講演し、記念誌に森繁久彌氏と共に寄稿もされている。
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