甲子園駅から南に約2キロにある浜は、兵庫県立甲子園浜海浜公園になっている。
昔よりは埋め立てられているところもあるが、一部、阪神間に残された自然な砂浜と干潟、磯がある浜になっていて、野鳥や干潟の生き物、貴重な植物などもみられる。
昭和46年、兵庫県が甲子園浜全面埋立計画を発表。南甲子園小学校PTAの母親たちが「子どもたちに砂浜を残そう、イソガニを守ろう」と立ち上がり、地域住民2004人を原告とする「甲子園浜埋立公害訴訟」を起こした。57年、和解が成立。埋立規模は縮小され、全長約2キロの砂浜と磯が残った。
<NPO法人海浜の自然環境を守る会>のWEBサイトより➡
今の甲子園浜海浜公園は、今津浜地区(約20,000平方メートル)、浜地区(約28,600平方メートル)、沖地区(約50,400平方メートル)、ふるさと海岸地区(約23,200平方メートル)、砂浜部分(約77,000平方メートル)からなります。
※今津浜地区・浜地区・ふるさと海岸地区は、6月1日から9月30日までの間(夏期の期間)、午後10時から翌朝午前5時まで出入り口を閉鎖し、入園できませんのでご注意ください。<西宮市WEBサイトより>
今津浜地区・浜地区にはだれでも自由に使える多目的広場があったり、沖地区でにはバーベキューを楽しむスペースもあり、ウィンドサーフィンのメッカにもなっている。
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元々は有数の海水浴場・良好な漁場として栄えていた場所。
海水浴場は 大正末期から昭和40年に閉鎖するまでにぎわった。
また、地引網で引き上げたイワシを「とれとれのいわし〜、ててかむ(手手噛む)いわし〜」という売り声で販売していたという。
また、阪神電鉄が大正末期から開発を進め、住宅地(健康住宅)、テニスコートや運動場などのほか、1929年(昭和4年)には『甲子園娯楽場』も作った。
そこには温浴施設、運動施設、映画館などもあり、1932年(昭和7年)には浜甲子園阪神パークという名称になった。
1935年(昭和10年)には、ゴンドウクジラがいる水族館もできたが、第二次世界大戦のため隣接していた競馬場や運動場など一帯を飛行場にするべく1943年(昭和18年)に閉鎖された。
現在、潮が引いたときにあらわれる人工物のようなものは、浜甲子園阪神パークの建造物の基礎の残骸>>。
しかしこれはまたそれで、歴史の証人ともなっている。
現在「甲子園浜自然環境センター」があり、海の生き物のミニ水族館があったり甲子園浜に多く来る海鳥が観察できるように望遠鏡なども設置されていて、甲子園浜の歴史や自然が学べる場所になっている。
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