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兜麓底績碑と天狗のさばき

兜麓底績碑と天狗のさばき

 廣田神社の真白な鳥居に沿って続く道路を右にカーブした先に「兜麓底績碑(とろくていせきひ)」があります。
江戸時代に水路工事を成功に導いた中村治部(じぶ)紋左衛門の功績を称えた石碑です。

徳川家光の時代、寛永18(1641)年に、社家郷、広田、越水、中村、西宮一帯は、大干魃に見舞われました。当時、この地域の所有地であった社家郷山に降った雨水は仁川に流れ込み、甲山の北を通って大市庄を経て武庫川に合流していました。「われらの山の社家郷山から集まる水は、本来、われらのもの」と考えた人々は、現在の甲山高校の裏に60メートルのトンネルを掘って、仁川から取水することにしました。たいへんな難工事でした。

仁川下流の農民の度重なる妨害があり、一触即発の事態となりました。仁川下流の農民が夜討ちしてくるとの情報が入った時、廣田神社の神官であった紋左衛門は、殺気立つ村民をなだめ、単身、工事現場に向かいました。そして、神官の白装束、烏帽子に天狗の面をかぶり、手に家宝の神鏡を月光に煌めかせながら岩の上に端座しました。夜、奇襲に来た仁川下流の農民は、これを見て、「天狗(てんぐ)」と思い込み、畏れ慄き逃げ戻りました。それ以降、流血の惨事は回避され、工事は順調に進み、トンネルは嘉永20(1643)年に完成しました。

甲山高校の裏の水路には現在も水が勢いよく流れ、一時は市の上水道の一部としても活用されていました。兜麓底績碑(とろくていせきひ)とは、甲(兜)山の麓の地底に水路を掘った功績を称える碑という意味です。(【環境学習参考情報】 歴史・文化 – 広田 より引用)
この話は「西宮 ふるさと民話」の「六甲山のてんぐ」でアニメで紹介されています。

廣田神社にお参りしたときにちょっと寄り道して見てください。説明銅板には詳しいお話も記されています。読みながら当時の様子を思い浮かべて見るのも一興かと思います。

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