西宮流へ戻る
鳴尾の義民

鳴尾の義民

前回に続き西宮に伝わる命を懸けた水の獲得争いの「鳴尾の義民」のお話です。
武庫川の流れは長い間戸崎町から分流した枝川が流れていましたが、大正12(1923)年に枝川樋門が閉じられ枝川の跡は現在の甲子園筋となっています。
この話は旧枝川を挟んでトンネルを掘り、命の水を得ようとした鳴尾の村民と、それを阻止しようとした瓦林の村民との争いでした。詳しい物語は西宮の「ふるさと民話」の「鳴尾の義民」参照してください。

「義民碑」は甲子園筋に面した甲子園三番町の北郷公園にあります。この碑の近くに出水口があったそうですが、現在は確認出来ません。トンネルは枝川の川底を掘り進み、空の四斗樽 の底をぬいてつなぎあわせ、といを新川まで通した のです。これに気付いた瓦林村の人たちがやってきて、鳴尾村の人たちと 大げんかになりました。

このさわぎは、方々へ知れわたっていき、さっそく大阪城から両村に呼び出しがかかりまし た。
この話を聞いた関白の豊臣秀吉は、鳴尾村の人たちに同情して、 「おまえたち、水がほしいか、命がほしいか。ど ちらかひとつを特に選ばせてやろう。」 と、言いました。
結局 ”水をもらえる” という約束の証文と引き換えに二十五名が処刑されました。
これまでたびたび干ばつに苦しめられてきた鳴尾 村ですが、それ以後、どんな日照りがきても、稲は 青々、すくすく育ち、豊かな実りの秋をむかえるこ とができたということです。 「命はいらない、水をくれ。」とさけんだ村人た ちをたたえた「義民碑」北郷公園にあります。

甲子園六番町にある八ッ松公園には、昭和45年に、ライオンズクラブにより「義民顕彰碑」が建て られました。
そして公園のすぐ東にある浄願寺には「鳴尾義民の碑」が建てられていて、毎年4月12日には、「鳴尾北郷義民追悼会」が開かれています。

北郷公園および八ッ松公園の簡単な地図を示します。
興味のある方は訪問して、昔の人々の命を懸けた事件を偲んで見ては如何でしょうか。

広告

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

広告