「細雪」の作者谷崎潤一郎氏は短い間ですが阪急夙川駅北側の根津家別荘に住んでいました。この間に根津松子夫人としたしくなり、やがて松子夫人を譲り受けて結婚することになります。
ここにいる間に夜毎二人は連れ立って戸田町の飲み屋に通ったと言われています。
この道の途中にあるのが「一本松地蔵尊」と「マンボウトンネル」です。
この道は小説「細雪」のなかでも紹介されています。
{西宮の一本松の傍に家があると云われたのが意外だったので、或る日、あのマンボウを通り抜けて、一本松の所まで行って見たら、成る程ほんとうにお宅があった。}
下の写真は2004年5月に発行された西宮地域情報雑誌「宮っ子」の表紙に掲載された常磐町の「一本松地蔵尊」です。
この常磐町の一本松は昔から地域のシンボルとして親しまれており平成14年(2002)2月に西宮市の保護樹林に指定されています。この木の下にある地蔵堂は「一本松地蔵尊」と呼ばれています。
地蔵堂の前には「一本松地蔵尊」と書かれた石碑が建てられています。この石碑には大阪城築城の際に石材を掘り出した松江藩堀尾家の紋章である分銅の紋が刻まれています。
一本松を暫く南に歩くとJR神戸線の線路に当たります。ここから少し右(西)の方に行くと小さなトンネルがあります。このトンネルは通称「マンボウトンネル」と言われています。「細雪」の中では{もと阿蘭陀語のマンブウから出た}と説明されていますが、鉱山の「間歩」からきたと言う説もあります。
もともとあった農業用の水路を線路で塞がないように通していた水路で、その上に板をはり人が通れるようにしたものです。現在西宮にはこの他に甲子園口駅の西と大谷道に同様の「マンボウトンネル」があります。
下に示す地図に谷崎潤一郎氏が一時住んでいた「根津別荘跡」と「一本松」および「マンボウトンネル」の位置を示しています。また右下の方に谷崎潤一郎氏が松子夫人と良く訪れた「京楽跡」を示しています。
(地図は「東京紅団・谷崎潤一郎「細雪」を歩くより参照)
現在はコロナ感染騒動の緊急事態宣言発令中で余り外に出かけられませんが、お天気の良い日にゆっくりと出かけるのも良いかも知れません。