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名勝「名次山」と「名次神社」

名勝「名次山」と「名次神社」

「吾妹子に 猪名野は見せつ 名次山 角の松原 いつ か示さむ」 
(わが妻に猪名野は見せた 名次山や角の松原は いつ見せられようか)
と万葉の歌人「高市連黒人」が詠んだ「名勝名次山」はニテコ池の北端西側にある「名次神社」境内に石碑があります。境内に掲げられている説明板には(もと名次山の景勝地に鎮座していましたが、明治41年に現在地に移転しました)と記されてされています。
名次の名は魚を表し、次は村を意味します。すなわち名次神社はもともと海のそばにあったと思われますが、西宮は平安の頃は内海が今の阪急線の近くまで入っており、名次神社からは奇麗な松原が望めたと思われます。
「角の松原」は現在のJR西宮駅近くの松原町に地名を残していますが、この地の海岸に松林が生い茂っていたのではないでしょうか。

「名次神社」は延喜式に掲載されている由緒ある神社ですが、現在は広田神社の摂社となっています。主祭神は名次大神となっていますが、「水を司る“水分神”(ミクマリ)を奉斎する」、雨乞いの神様と言えます。

神社は小高い台地になっており、ニテコ池側の入り口には二基の灯篭があり、西側の入り口には石の鳥居があります。そして境内には名次神社の説明と万葉の詩を含めた境内の説明板が設置されています。

「社殿は元四尺四方板葺の木造でしたが、しばしば破損し、ついに正徳4年(1714)8月暴風のため大破したそうです。そこで新に石造の小祠に作り、翌年4月14日に遷宮をおこなったことが神主家日記に記されているそうです」
本殿右奥には「石の祠」が設置されていますが、これその時の本殿と思われています。
一説には西宮のお前浜の漁師が関東に出稼ぎに行き、そのまま居付いて繁盛し、故郷に祠を寄贈したという話もあります。

名次神社は阪急苦楽園口駅の東、ニテコ池の北端に位置しますが、簡単な地図を下に掲示します。

詳しい話はボランティアガイドがご案内します。

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