阪急西宮スタジアム(阪急西宮球場)

阪急西宮球場

1936年に阪急電鉄の小林一三の「阪神甲子園球場は6か月で出来た、阪急西宮球場は5カ月で完成せよ」との掛け声の下1937年に開業した。
阪急西宮球場は日本初の鉄傘付き二階席の他、外野席を含む5万7千人収容の観覧席が全て本塁に向かっていて、とても見やすい球場だった。また、浴場など選手用設備、記者席、郵便局、男女別トイレなどの内部施設も充実した、当時としては画期的な球場であった。
阪急電鉄所有のプロ野球チーム「阪急ブレーブス」の本拠地として使用されるほか、競輪場やアメフトの試合、コンサートや様々なイベントにも使用されており、多目的経営の先駆けとなった球場である。
阪急電鉄が球団を譲渡してオリックスがフランチャイズを移転した後の1991年に「多目的スタジアム」であることを標榜し「阪急西宮スタジアム」へ改称した。

多目的スタジアムとして様々なスポーツの会場ともなっている。
全国高等学校ラグビーフットボール大会:1946年(26回大会)~27回大会、1949年(29回大会)~41回大会が西宮球場で開催。
1946年第28回全国中等学校優勝野球大会を阪急西宮球場で開催。
1958年(第40回)・1963年(第45回):全国高等学校野球選手権大会が甲子園球場との併催で開催。
1960年:甲子園球場の改修工事により『甲子園ボウル』を代替開催。
また戦後の経済状態の改善のために、近隣各市と共同で1949年から仮設バンクを立てて、西宮競輪として競輪を開催したが、2002年にその役割を果たして終了した。

継続的なイベントでは定例的な吹奏楽の音楽会がある。1961年に第1回目が「春の吹奏楽~1000人の合同奏」という名前で開催されたが、翌第2回目からは「2000人の吹奏楽」、第29回からは「3000人の吹奏楽」と名前を変え、2002年に西宮スタジアムが閉鎖されるまで続いた。
西宮市民祭は第1回~第7回まで西宮神社で開催されていたが、1954年第8回から西宮球場で開催され、第28回の2002年に閉鎖されるまで開催された。

コンサート会場として、国内外の大物アーティストが使用している。
マイケル・ジャクソン、マドンナ、ボン・ジョヴィ、クイーン、サザンオールスターズ、GLAY、渡辺美里、矢沢永吉、浜崎あゆみ、ゆず、ピンクレディー等多数。
2002年8月にSMAPがコンサートとして最後の公演を行った。

1988年10月23日、阪急ブレーブス最終戦、上田監督は「阪急最後のメッセージ」を残して球場を後にした。その中で「阪急魂、勇者の魂は、ユニホームこそ変われ、この立ち並ぶ選手たちの胸の中に、延々と燃え続けるものと確信しております。」と締めくくっている。

阪急西宮スタジアム跡には2008年11月26日に「西宮ガーデンズ」が開業した。開業当時は西日本最大級のショッピングモールで市民の買い物の場であり、憩いの場としての数々の鉄日を有しており、西宮スタジアムを偲ぶ展示やメモリアルが発見出来る。

にしのみや市民祭り アメフトと西宮/甲子園球場 阪神甲子園球場 の関連記事も参照。

昔の写真は西宮市歴史資料チーム提供による。

投稿日時 : 2022-01-26 10:34:22

更新日時 : 2024-03-25 19:00:14

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