古武術とは、江戸時代の終わりごろまで行われていた武術のことで、数多くの流派がある。
明治以降、その古武術を元にしてルールを作った現代武道がスポーツとして広く広がってきた。柔道や剣道、空手道、居合道などはこの範疇になる。
ルールがあって試合がある現代武道に押され、今では古武道を知る人も少なくなってきているが、西宮に限ってみても、様々な流派がその教えを守って活動している。
上田西町の鳴尾体育館で稽古されている『普門楊心流柔術・楊德館』を訪ね、師範の有馬和重さんにいろいろお話を伺った。
古武術ってどんなもの
古武術(こぶじゅつ)とは、明治維新以前にあった武芸。
それまでに体系化されていた剣術、柔術、槍術、弓術、砲術などが、様々な場所で流派として技術化・体系化されていた。
『武芸十八般』と言う言葉があるが、戦場では、命を守るためにも、敵を倒すためにもあらゆる武器の扱い方に精通することが求められたのだろう。
具体的には、「剣術(大刀)」「居合術」「小太刀術」「槍術」「薙刀(なぎなた)術」「棒術」「杖術」「柔術」「捕手(とりて)」「弓術」「砲術」「馬術」「水術」「十手術」「鎖鎌術」「手裏剣術」「含針術」「忍術」などが「十八般」の一例として挙げられるようだが、今、古武術として活動している各流派によって、それぞれ稽古内容は違っている。
明治になって嘉納治五郎氏が柔道を起こしたのが、現代武道の始まりだと言われている。
明治時代以降、武道という総称が確立し、現代武道と古武道に区別されるようになった。
普門楊心流柔術・楊德館の教え
有馬和重さんが、古武術に出会ったのは28歳の時だった。
当時通っていたスポーツジムで知り合った人から「古武術」の存在を知り、稽古に行ったことがきっかけだったようだが、有馬さんは「歴史好きと言う個性も後押ししたのではないか?」と振り返る。
「普門楊心流では、江戸時代の侍が稽古した古武術(剣術、棒術、柔術)を稽古しています。あまり知られていませんが、西宮市は古くから武道の盛んな地で、民営及び公共の体育館、教室では、剣道、柔道、合気道などの現代武道から江戸時代から伝わる古武道(古武術)の剣術、居合道、柔術などが稽古されています。私たちの武道教室もその中の1つです。」と有馬さんは話す。
『普門楊心流』は、江戶時代の初め頃、奥州白石藩士・髙木折右衛門によって考案され、姫路城の侍の間でも盛んに稽古されていた流れを組む。
幕末の頃、近畿圏に広がり、昭和の時代に神戶の高木流(高木楊心流)から分派した楊心流が 西宮につたわり、現在、西宮の様々な道場で楊心流の稽古が行われている。
様々な形で西宮に伝わる高木流及び楊心流、その中の1つが有馬さんの『北田直伝・普門楊心流柔術』だ。
『普門楊心流柔術』は恩師・北田和裕先生の大和楊心流柔術から有馬さんが13年前に独立した比較的新しい団体だ。
「新しい流派名として『楊心流』だけでは似た名前の流派・団体が多いので、北田先生が16歳の時に入門し、皆木先生から学んだ思い出深い『普門楊心流』の名前を有馬に使ってほしいとのことで、北田先生から流派名をいただきました。」と有馬さん。
こうして、北田先生が伝えた古伝の内容を保持しながら、護身術として役立つ技などの稽古も行っている。
武道やスポーツといえば、競技者1人が強調されることが多いが、有馬さんが主宰する『普門楊心流柔術・楊德館』は稽古仲間を重要視し、共に技の向上を目指し、常に和を大切にしながら稽古に励んでいる。
「楊心流十七代・皆木三郎先生の時に柔術・小太刀・棒術の三位一体を確立されました。古武術は元々は武士が相手を殺傷する武術ですから、一瞬で相手を無力化する技も入っています。そういう技は秘伝として一定の稽古を積み段と伝書を取得する中で伝えられていきます。今の古武術は、試合など戦うことを想定しない『形』の中で伝えられています。」
そんな教えのなかでも『和』を大切にし、『思いやり』の心を持つ心技体の『普門楊心流柔術』に心を惹かれ、師範となった有馬さんは「私が伝統をお預かりし、次に伝える責任があると思っています。今は生徒の数も少ないので、一人でも多くの方が古武術に興味を持っていただける環境を作りたいです。」と語る。
積極的に古武術を発信したいと、有馬さんはウェブサイトやSNSも使って発信している。
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西宮と古武術の関係
かつて尼崎藩の一部だった⻄宮は藩の陣屋があり、藩士の行き来があった。
当然、武術の稽古もあり、その後も古武術も盛んだっただろう。
現在でも西宮で活動している『楊心流』を始め、合気道のもとになった大東流合気柔術、無双直伝英信流居合術など様々な流派がある。
⻄宮との不思議な縁を示す道歌が、有馬さんが北田先生より伝授された免許皆伝の巻物の中にあると伺った。
「傀儡師、首にかけたる人形箱 佛出そうと 鬼を出そうと」
西宮神社のえびす講を広めるために、室町時代、えびす様の人形を入れた箱を肩から掛けた人たちが全国を行脚した。
箱の中のえびす人形を繰った人たちを傀儡師(くぐつし/かいらいし)と言い、そのえびす舞が今の人形浄瑠璃の原点だと言われ、西宮市産所町には傀儡師像もある。
『普門楊心流柔術・楊德館』の免許皆伝の巻物の中にあるこの和歌が、いつ頃からどうしてあるかは、今となってはわからないが、師範となる人に伝授する免許皆伝の書の中に、『傀儡師』と言う言葉が出てくるというのは、西宮市民としても興味深い。すこし鳥肌もたった。
そんな流れの中でのことなのかどうかはわからないが、昭和の頃までは、市内のあちこちの神社では古武術の演武大会も盛んだったようだ。
古くから神社と古武術の関係は深い。
「古武術は、もう衰退してなくなったのもと思われているのかもしれません。でもあちこちでたくさんの流派が今でもその伝統を残して稽古しています。まずは、見学して古武術を知っていただければと思います。流派で違うところもありますので、幾つか見ていただけるといいのかもしれません。」と有馬さんは話す。
有馬師範が話す古武術の魅力
有馬さんが座右の銘にしている、十七代・皆木三郎先生の言葉があるという。
「武道は仏法であり、芸術であり、哲学であると思っております。これは三位一体のものであって、仏心のない武道は外道であり、創造性のない武道は前進しない。」
元々は、武士が鍛錬していた武術だから人を傷つける技もあるが、人を助ける技もある。
和を大切にし、思いやりの心を持つ古武術は、二人1組で形を出し合いながら稽古することで相手の痛みも知ることになる。
最近は、この古武術の体の使い方が介護や様々なスポーツの現場などで有効だということで注目されたりしている。
「私自身も、今、親の介護をしていますが、古武術をしていることで、力を抜くという体の使い方や気の持ち方が役に立っている気がしています。無駄な力を入れないことで疲れにくくなるということにもなると思います。古武術は『力』を抜くことから始まります。いかに力を抜くか!いかに体の無駄な動きを無くせるか!これが古武術の目指すところです。力づくではダメなんです。」と有馬さん。
『介護現場に使いたいので古武術を教えてください!』実際にそんな声もあったようだが、『これが介護用の古武術』と言うのがあるわけではない。
古武術を稽古していく上で、体の無駄な動きがなくなり、無駄な力を抜くということがわかっていく中で、介護などの現場での体に使い方などに良い影響ができていくのだろう。
実は古武術をしている人口は、国内より海外の方が圧倒的に多いという。
海外で活躍している師範や生徒が日本に来て、日本の武術を学んで帰ることも多い。
「海外は足していく文化。それに比べて日本は削ぎ落としていく文化のような気がします。丸太の中から仏を削り出していくような…。動きの無駄をなくすことが美しさになるんだと思います。」
「伝統をお預かりしている。」と言う有馬さんは、伝統を後世に残すためにも一緒に古武術を鍛錬してくれる仲間を募っている。
古武術は、年齢性別関係のない武術であり、40代50代で始める男女の初心者も多い。
現在は、上田西町の鳴尾体育館で毎週土曜日の午後5時から行っている。
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