甲子園球場が建つずっと前からこの地にあった甲子園素盞嗚神社(こうしえんすさのお神社)。
「甲子園球場の裏にある神社…として名前が知られるようになって来ましたが、甲子園球場のほうが後から神社の裏に来たんです。」と宮司の畑中秀敏さんが笑いを誘う。
大正13年に甲子園球場が建設され、プロ野球や高校野球が盛んになるにつれ、ここで必勝祈願する人が増えた。
今では、野球のボール型やベース型のお守りや絵馬を求めて、遠路はるばる訪れる人の姿が絶えない。
甲子園の優勝校のネームプレートが入った車止めの並ぶ東西の通りに面して甲子園素盞嗚神社が建つ。
創建の年代は不詳だが、元禄元年や天保年間の再建の記録から300有余年前と推測される。武庫川の支流にあった枝川と申川の間に出来た三角州の要の土地に出来たお社。
ご祭神は素盞嗚尊(スサノヲノミコト)。
昔は牛頭天王社として大樹に囲まれた荘厳な神域で盛大なお祭りも行われていたという。
神社にある古地図(273年前)には鳴尾村と今津村の間に流れる枝川と申川の三角州の頂点辺りに『西鳴尾氏神』と記されている。
「第二次世界大戦と阪神淡路大震災…と復興の連続でした。」と畑中宮司さんは語る。
ボール型のお守りは、震災後の甲子園を元気にしたいとの思いから作ったのがきっかけ。
「最初に、ボール型のお守りを作って欲しい…と業者に話したときには相手にされませんでしたね(笑)1年半お願いし続けて、最初に作ってもらったのが300個でした。」
今では、高校野球の地方予選が始まるとメンバーの数だけ買いに来るチームもあるという。
「修学旅行の自由時間を利用して来られるマネージャーや先生もおられますよ。」
本殿の横には、元阪神タイガースの監督・岡田彰布氏の揮毫による野球塚も建立された。
その塚の前にはベース型の敷石がある。この野球塚は供養するところではなく、ものや人に感謝する場。「神様が降臨するところ」…その前で願い事をする。
「ベース型にしたのは、ここが出発点であり、帰着点という意味なんです。少年が願をかけて高校球児になり、プロ選手になって帰ってきて欲しい。そんな場所になって欲しいと思います。」
2008年8月1日には、星野仙一氏の揮毫の大きな野球のボール型の御影石のモニュメントも出来た。
野球少年たちがこのボールのモニュメントを撫でていくという。
「大会が始まると、監督の奥様がずっとここで祈っておられることもあります。試合が見ていられない…とおっしゃってね。」
たくさんの球児やその関係者を静かに、力強く見守ってくれる甲子園素盞嗚神社を畑中宮司さんが守っている。
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