1901年11月3日 〜1994年 3月26日。京都府出身の俳人。
第三高等学校へ進学後、京大三高俳句会へ入会。
学友の日野草城の誘いで、「ホトトギス」へ投句し本格的に句作を始めた。
1922年、高浜虚子と出会い師事する。
1953年に兵庫県西宮市苦楽園5番町へ転居。
山口誓子が住んでいた屋敷は阪神・淡路大震災で倒壊し、今は句碑と記念碑が建てられている。
山口誓子が住んだ頃の苦楽園は閑静な住宅地になっているが、山口誓子が住んだ屋敷のすぐ近くに三笑橋がある。
大正初期の苦楽園は温泉がある保養地で、その三笑橋を中心に東には共同浴場など賑わった一角だった。
湯川秀樹もこの近くに住んだ。
山口誓子が住んだ屋敷は神戸大学文理農学部キャンパス内で再現され、神戸大学で山口誓子記念館として不定期に公開されている。
広田神社境内にも句碑がある。