夏の甲子園の名物といえば「かちわり」。氷をビニール袋に入れてストローで飲むという斬新なアイデアで商品化したのはいったいどんな人なのだろう。地元鳴尾町で飲食店を営む梶本泰士さんに聞いてみた。
「勝ちにつながる「かちわり」考案のヒントとなったのは金魚すくい
泰士さんが小学校の頃、金魚すくいをして帰った泰士さんの持つビニール袋に入った金魚を見て、お父さんの国太郎さんが閃いたのが「かちわり」の始まり。
それまでは、たこ焼き用のフネに乗せたカキ氷を売っていたが、赤い蜜がこぼれてお客さんの服を汚すことが悩みの種だった。
「これなら溶けても飲めるし、頭も冷やせる。」と
ストローを付けて売り出したら大ヒット。
「あの頃は、ジュースの素…っていう粉末がありましたやろ。お客さんがあれを持ってきて解けて来た頃に入れはりますねん。」
「小さなポケットウィスキーのビンを持ってきゃはる人もありましたで~」
風と雲と試合のカードが売れ行きを左右。長年の勘が冴える
発明とは、ほんの小さなことが始まりだというが、甲子園の代名詞のようになっている「かちわり」の誕生秘話もそんな小さな出来事だったとは。
最初は5円だったものが、今は200円。時代も変わった。
昔は木の箱に入れて売り歩いたから、男の子の仕事だったが、今は発泡スチロールのおかげで売り子は男女半々。
箱も重かったが、昔の子は一度に80~90個を持ったが、今は40個ぐらいという。
「重いものが持てへんようになったのは、ペットボトルの飲み物が出てきた頃ですわ…」どんな関係なのか分からないが、ずっと見てきた人が言うのだからそうなのだろう。
「かちわり、いか(が)(で)すか~」 今年も学生バイトの売り子たちがスタンドを駆け巡る。
かちわりを売るのは、朝の10時頃から午後4時頃まで。
「風が吹いてきたら、ピタッと売れませんわ~」と梶本さん。
天気が左右する商売の極意を聞いてみたら、「風と雲ですわ~。昔はこの辺は漁師町でした。私らも子供心に雲を見て育ちましたから…」とさらり。それに、その年のカードも重要なポイントらしいが、すべては梶本さんの長年の勘!!
昔は海水浴場があり、線路の北側はいちご畑だった
「私ら、子供の頃は甲子園浜が海水浴場でしたからなぁ。」
本業のお店は、この地で100年になるそうだ。
阪神電車より北はイチゴ畑だったと教えてくれた。「そういえば、甲子園球場の近くに、ヘリコプターが落ちた事故もありましたなぁ。まだ市電が走ってた頃でした。」
風景は大きく変わったが、試合があるときは甲子園の梶本商店(12番ゲートと13番ゲートの間)に出向くのは今も変わらない。
今は砕氷機がフル稼働するが、昔は金槌でたたいたり、アイスピックで割っていた。
「かちわり」たたいて割ることと勝つに掛けてのネーミング。
そのネーミングが受けて今では甲子園の代名詞。
2008年3月、甲子園球場の第一次リニューアルが終わった。それを機に、球場内の業者も大きく入れ替わったという。
昨年取材した時、かちわりのまるまんさんも「来年はどうなるかなぁ~。」と心配されていたが「甲子園のかちわり」はやはり甲子園の代名詞。新しくなったパッケージでお目見えしている。