傷だらけの小さな古い橋は、歴史の証人だった〜弾痕の残る橋が移設展示〜

鳴尾の橋

1945年8月5日深夜から6日未明にかけての阪神大空襲は、当時の西宮市や当時の鳴尾村でも多大な被害があった。

昨年は戦後80年ということで様々な報道もあったが、やはり難しいのは昔の出来事=歴史をどう語り継げるかということのようだ。

ぞんな戦後80年に、鳴尾学文町の小さな橋桁が「戦争遺構」として残されることになり、「弾痕の残る橋」移設・保存1.25記念の集いが、学文公民館講堂で行われた。

「弾痕の残る橋」移設・保存1.25記念の集い

2026年1月25日(日)14時、学文公民館3階講堂に満員の人が集まった。
「弾痕の残る橋」の橋桁が学文公園の一角に移設・保存されたことを祝う記念の会を『鳴尾村誌を読み、戦争を語り継ぐ会』が開催し、関係者や多勢の地域の人たちが集まった。

住民の多くの人が全く気にもしていなかった傷だらけのボロボロの小さな橋。
その橋が「戦争の証言者だ」として多くの人に知られたのは、今から10年前の2015年8月の朝日新聞の記事だったという。

8月6日というと、広島での原爆の日として日本人は記憶しているが、8月5日深夜から8月6日未明までの阪神大空襲は私たちが今住んでいる西宮も大きな被害を受けた。
当時はまだ西宮市ではなかった鳴尾村も、南の方に多くの軍需工場があったことから焼夷弾や機銃掃射での大きな被害を受けていたようだ。

今回の橋は、本郷学文筋の旧国道より北、学文公民館の一本北にかかっていた。
古い住民は、このあたりまで多くの人が逃げてきたこと!7〜8人の人が亡くなられたこと!を事実として知っていたり、聞かされていたりしたが戦後80年という時間は、それらの事実を知る人は少なくなってきていた。

三姉妹
弾痕の残る橋がかかっていた頃(2025年7月)

さまざまな要因の中で、この橋が地元の方々の総意として保存を目指し、行政を動かし今回学文公園の一角に移設保存された。

今日の日を迎えるためのさまざまな関係者が、短いながらもそれぞれ自分の言葉で伝えた思いは、確実に出席者に届いた。

戦争体験伝承「この橋の川であったこと」

小さな橋の上では7人〜8人が亡くなった。
その中でお名前がわかっていた帆足さん母娘のお孫さんも京都から参加され、一緒に逃げるはずだったお父様のお思いやご自身の思いなども話されていた。

知人から聞いた話だが・・・と「痛ましい遺体の状況や野焼きの臭い」などの話の後「2度と戦争は嫌だ!」と締め括られた方。

鳴尾には、戦争の遺構が多くはないが「今回のこの橋」と「寿公園の銅像のない台座」「鳴尾八幡の慰霊塔」の三つがあるとお話しくださった方は「阪神大空襲を風化させたくない」と締め括られた。

会場のパネル

たくさんの方が、それぞれの立場や個人でのお考えを披露されたこの会は、実際の生の声が参加者の胸に響く会になっていたと思う。

戦跡があるだけで、思いが残るのだろうか??
努力をしないと残らないだろう!
こうした活動を住民参加で思いをつむいでいくということは素晴らしいと思う。

鳴尾の橋
会場に置かれたパネル

鳴尾高校放送部制作/ドキュメント「継(つぐ)」上映

県立鳴尾高校の放送部が、2025年度のNHK杯にこの橋をテーマに、8分のドキュメント映像「継(つぐ)」を制作し、創作テレビドキュメント部門の優秀賞に輝いた。

生徒たちが多くの人たちに取材し、手に入れた多くの素材を今度は8分の長さに編集する!

テーマに沿った表現を求めて、素材を削ぎ落とし、効果的なテロップやナレーションを工夫する!
そうした作業の中で取材した人たちの声や思いも反芻していった。

「生の声を聞きくことの大切さを感じた」「考える過程の大切さを学んだ」「何を残せば伝わるのかを本気で考えた」というこの日の会に参加した生徒たちの発言に、会場の参加者たちとの距離が一気に縮まったように思った。

鳴尾高校のウェブサイトもご参考に➡︎

歌「継〜命の橋」に込めた思い/高田志麻

この日の会の締めくくりは、地元のシンガーソングライターの高田志麻さんの歌声で締め括られた。

2002年、東芝EMIよりメジャーデビューされた高田志麻さんは、阪神・淡路大震災での経験から、東日本大震災復興支援ライブや西日本豪雨災害復興支援ライブ、福島応援ライブ、能登半島地震復興支援ライブなどに積極的に参加。
被災地へ向かい『心の復興』をテーマに各地で支援活動を行なっている。

この日初披露の「継〜命の橋」を披露する高田志麻さん

最近は、鳴尾八幡神社<鳴音祭>やこうしえんまちなかフェス<Green Sound Stadium>の企画・主催など積極的に地元での活動を広げている。

この日の最後の曲は、初披露の「継〜命の橋」。
「これまでの私の曲調とは変えました。いろんな場面で様々な人に歌ってほしいと思い、合唱曲に仕上げました。ぜひいろんな所で歌って繋いで欲しいと思っています。」

高田志麻さんのウェブサイト➡︎

地域に広がる「継」の思い

会場には、これまでの活動のパネルがたくさん飾られていた。
この日のこの会を成功に導いたのは、これまでに関わってきた多くの住民の方達の力の結集だったと思う。

保存された橋の説明文

自分達でこの日のために折った千羽鶴を捧げた小学生たちも「継」の一員。
戦争の遺跡は学文公園に設置されたが、そこにあった物語を繋いでいくのはこれからだ。

2013年に教職員組合が作った「平和マップ」がある。
お時間あれば、お散歩ついでに巡ってみてください。
解説ページ➡︎
マップページ➡︎

最後に、こちらの記事もご参考に➡︎

投稿日時 : 2026-01-29 18:28:23

更新日時 : 2026-01-29 19:27:20

この記事の著者

編集部|J

『西宮流(にしのみやスタイル)』の立ち上げ時からのスタッフ。
日々、様々な記事を書きながら西宮のヒト・モノ・コトを繋ぎます。

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