創建年代は不詳であるが、かつてこの地に神霊が降臨し、「この地に祀れ」という神託があった。
そこで浦人たちが浄地を選び、大和国三輪の里の古社から御神体を勧請して奉斎したのが始まりと伝えられる。
近世、文禄年間(1592~96)に後陽成天皇の名代参拝があり、「福に應ずる宮」すなわち福應神社の社号を賜った。
この神社は漁業や海運、酒造守護など、この地域ならではの御利益があり、西宮神社、越木岩神社とともに西宮の三福神とも言われている。
ご祭神の事代主命(ことしろぬしのみこと)は大国主命(おおくにぬしのみこと)の息子で本来は神託の神であるが、国譲り神話のなかで海で釣りをしていたことから釣り好きとされ、海と関係の深いえびすさまと同一視されたことによると思われる。
10月12・13日の秋祭りにはみこしや船形だんじりが町内を巡行する。
境内には本殿に向かって右側の赤い鳥居の奥に、穴尾稲荷神社・白髭稲荷神社が祀られている。
本殿左奥には松尾社と金毘羅社が祀られ、手水舎の奥には福地蔵尊が祀られている。
境内入って右側には手水舎があり、近くに縁起物の福の神が置かれている。
神社は国道43号線や名神高速道路建設のため、何度か少し移転したという。
しかし平成7年(1995)1月17日の阪神淡路大震災により、本殿や末社・鳥居等多くの社殿が被災、全壊または大被害を受けたが平成9年(1997)12月に復興された。