2015年5月6日で、西宮市から路面電車が消えてちょうど40年になります。
ある種の都市伝説になりつつある話、実際に乗車している記憶があるのは、自分も含めて40代中盤~後半以降の世代のみになりつつあります。
にも関わらず、その”遺構”が阪神甲子園駅を中心として 僅かに残っていることをご存知でしょうか?
今回は、それを探訪してみたいと思います。
まずは、その歴史から。「阪国電車」などと呼ばれた阪神電気鉄道の路面電車には、大阪市内の天神橋筋6丁目と野田阪神を結ぶ「北大阪線」、野田阪神と東神戸を国道2号線上を走る「国道線」、国道線の上甲子園から甲子園筋を下り浜甲子園に至る「甲子園線」の3路線がありました。但し「国道線」の上甲子園以西は段階的に1974年までに廃止され、最後まで西宮市内に残ったのは実質「甲子園線」のみ(「国道線」上甲子園の次の停留所、武庫大橋は尼崎市内)でした。
そんな「甲子園線」の名残で最初に紹介したいのが、当時の終点だった「浜甲子園」駅です。
ここには1980年頃までコンクリートのプラットホームや木製の上屋根が残っていました。しかし朽ち果てて危険ということで、周囲に金網を設置。うち線路部分を高校野球等の駐車場として使用する、通称「阪神グラウンド」への歩道として整備しました。後年、駅が完全に撤去されてしまったため、今はその金網だけが残る不思議な景色となっています。
また、目立つものでは甲子園駅東口の鉄塔が挙げられます。街灯や案内スピーカー、「甲子園駅東改札口」の看板を掲げた色褪せたコレ、実は当時の路面電車の架線柱でした。
最後まで残ったこの1本、今年3月19日に新装された東改札口の使用開始によってその役目を終えました。ですが、甲子園筋の西側の歩道には「酒蔵通り」を挟んで北に4つ、南に2つの台座が残っています。何故かと推理すると、ある結論に達しました。それは、過去の写真の中にヒントがありました。
なんと、路面電車の架線柱は電信柱を兼ねていたようです。廃止後、東側歩道のそれは撤去されましたが、その機能を有する西側の物は残ったのです。記憶が確かなら、旧「阪神パーク前」北行バス停には、路面電車当時同様その架線柱が使われていました。近年付近が共同溝化された際に伴いバス停も移転(=現「ららぽーと甲子園西」バス停)、既に生垣に囲まれていた架線柱は本体のみの撤去で、その工事を終えたのではないかと思われます。
その他にも、甲子園筋を跨ぐ国道43号線の高架下に架線をぶら下げていたフックが未だに残っています。他にも駅周辺には、その名残と思われる物や、当時から残る物が幾つかあります。
現在リフレッシュ工事が行われている甲子園駅。これらを思い巡らせながら周囲を見回してみては、いかがでしょうか?
レポーター : 古本 卓嗣(文・写真とも)