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料理研究家 近藤一樹さん

料理研究家 近藤一樹さん (西宮市在住)

料理は、食材と食材の出会いです。人によってつながる一期一会ですね

料理研究家 近藤一樹さん (西宮市在住)

料理研究家 近藤一樹さん (西宮市在住)

【プロフィール】
料理研究家 近藤一樹さん (西宮市在住)

1973年 大阪あべの辻調理師専門学校に入学

1979年 サンフランシスコ日本国総領事館に公邸料理人として3年間勤務

その後、・・・»

料理人は人に喜んでもらえる職業

 家庭の事情もあり、小学校に入る頃にはすでに包丁を握っていたという。
「母親が働いていましたから・・・。」と近藤さんが話し始めた。自分の作ったものを喜んで食べてくれる人が居るという経験が、近藤少年の心の中に、明確に調理人への道が描かれたようだ。

「そうですね~、中学生の頃にはすでにそう思っていたでしょうね。料理人への道に進むことでは、全く揺らぎませんでしたね。」
自分の通う学校の先生だったというお母さんは「何で、俺だけがこんなに怒られないといけないのか??」と思うほど、怖い人だったという。

しかし、その反面「自分が作った食事を喜んでくれる人がいる。人に喜んでもらえる職業だと思って迷わずに料理人への道を選びました!!」という、その喜びを教えてくれたのもお母さんだった。

調理師・・・という職業の歴史は浅い。「昭和33年施行です。それまでは資格なんてなかったんですね。」こんなことが、日本での料理人の地位が低いことと繋がっているのかもしれない。
「日本は、職人の地位が低いですね。料理人もご多分にもれません。」
小さい時から包丁をもって、お母さんを喜ばせた少年は、高校卒業後辻調理師専門学校に入学した。

フランス料理人の山高帽への憧れから一転、和食の世界へ

2006年3月のニューヨークタイムスの記事より

2006年3月のニューヨークタイムスの記事より


 料理界の東大といわれた辻調理師専門学校へ入り、高い帽子への憧れ・かっこよさからフランス料理を希望しフランス語を受講することに。
「当時フランス料理の巨匠 ポール・ボキューズ氏 ピエール・トロワグロ氏 ギー・ティバル氏の指導に感銘を受け、フランス料理研修の旅行に出ました。あれが人生最初の海外旅行でした。一ドルが360円の時代ですよ。」と近藤さんが話す。

「当時のバイト代は、なんと時給250~280円。夏休みも休まずに貯えてドイツ・スイス・イタリア・フランスとバスで回りました。最高の経験でした!!」
リヨンの市場で飲んだのがカフェ。「初めてコーヒーを飲んだ時、大人になったんだと思いましたね!!」

将来はフランスで修行をするんだ・・・と夢を持ちながら順調に修行が進み、さて就職という話になったとき「日本料理に残れ!」と先輩の一言。
「頭が真っ白になりました。何とか『一日考えさせてください』と伝えたのが精一杯でした。」先輩の言葉に逆らうことは出来ないと、翌日「はい」と返事をする。

「これは後で分かったことですが、きっと私を見ていた先輩は『日本料理』の方が私に合っていると思ってくださったんでしょうね。今では本当に感謝しています。」
その後、たくさんの生徒を指導してきた近藤さんだから、先輩の思いが理解できたのだろう。

そんな近藤さんに、大胆な性格判断をしていただいた。「もちろん、大まかな目安ですよ。A型の人は日本料理、BとAB型はフレンチやイタリアン。中華料理はO型ですね。」
日本料理は、料理の種類だけでなく器との組み合わせもあり、実にたくさんの組み合わせとなる。「でもね、日本料理にはかなり細かい決まりがあるんですよ。ですから、一番工夫しにくいとも言えます。」

料理はインスピレーション。ビビッとくる食材との出会い

サンフランシスコ総領事館公邸の食卓風景

サンフランシスコ総領事館公邸の食卓風景


 「料理はインスピレーションが大切だと思いますね。その部分は、天性のものが左右します。」長年、料理人をしていて、ビビッとくる食材との出会いがあるという。
「食材との出会いは、人の出会いに繋がるように思います。一期一会です。」
食材と食材をあわせて、それを1+1=2以上にしたり、以下にしたり・・・。その見極めがインスピレーションだと近藤さんは話す。



当時のサンフランシスコ総領事館公邸。スティーブ・マックイーン主演の『ブリット』のオープニングに出て来た館。

当時のサンフランシスコ総領事館公邸。スティーブ・マックイーン主演の『ブリット』のオープニングに出て来た館。


 今年の3月に37年勤めた辻調理師専門学校を退職されたが、この間に『料理天国』『どっちの料理ショー』などTV出演だけでなく、タイやスイス、アメリカ各地での日本料理の指導など輝かしい経歴を持つ。

「今では、和食を専門にしたことを良かったと思っています。和食の中で好きなものをあえて・・・と言われれば『煮物』でしょうか。」近藤さんは続ける。「西洋料理は足し算、日本料理は引き算だと思います。素材の上に乗せていく(足していく)西洋料理と違って、素材の味を引き出すためにある意味日本食は引き算で味を考えて行きます。」

日本料理の中でも、京(関西)料理の薄味は、しっかりした旨みを持つ根菜類が手に入ったことから確立した。美味しい水と寒暖の差のある気候が美味しい野菜を生んだ。
サンフランシスコ日本国総領事館の公邸料理人の経験も持つ近藤さんは、英語での日本料理の著書も多い。

総領事館での3年は貴重な経験の連続

「どっちの料理ショー」の一コマ

「どっちの料理ショー」の一コマ


 辻調理師専門学校を卒業し、その職員となった近藤さん。それから数年後にはサン・フランシスコ日本国総領事館に公邸料理人として赴任することになった。
1975年、実に22歳。
この時の経験が、今の近藤さんを育てた。「私に白羽の矢を立ててくださった諸先輩に感謝です。」

当時のアメリカ西海岸は日本食というものに理解は無かった。むしろ関心すら持たない状況だった。
「もちろん、箸は使えませんし、生食などとんでもなかった頃です。逆に鯨を食べる日本人を野蛮だとも言われていました。自動車産業やオレンジの問題で日米摩擦の最高潮のときでしたから・・・。」そんな問題を少しでも和らげるためにと公邸でのパーティーの開催は多かった。

「公邸料理人といっても、若造の私一人でした。若かったから乗り越えられたんでしょうね。この時に、段取りの大切さを体で覚えられたように思います。」この3年間はすべてが新鮮な出逢いと感動の連続だった。
語学やワインの知識、多くの人との縁は近藤さんの大きな宝となった。

「当時の公邸はパシフィックハイツにある通称「マーブルハウス」と呼ばれ、スティーブ・マックイーン主演の『ブリット』の映画のオープニングに出てくる館なんですよ(笑)」

辻調での37年は、たくさんの教え子を送り出した。西宮にあるお店にも知り合いは多い。
その近藤さんが、満を持して心斎橋に自分の店を持つという。「店の経営を考えると不安はありますね。こんな時代ですから、和食とは言いながら少し特徴を出そうと思っています。」
近藤さんの表現する日本文化の和食を楽しみに待とう!!

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料理研究家 近藤一樹さん (西宮市在住)

  • 1973年 大阪あべの辻調理師専門学校に入学
  • 1979年 サンフランシスコ日本国総領事館に公邸料理人として3年間勤務
  • その後、マンダリン オリエンタル ホテル バンコク やスイスの「ローザンヌホテル学校」
  • ハワイ「カウアイウェスティンホテル」、ニューヨーク トライベッカにあるフランス料理店「ブーレイ」など、これまでに日本料理の指導は多数
  • 「料理天国」や「どっちの料理ショー」の出演経験も持つ
  • 2011年 辻調理師専門学校を退職。
  • 大阪心斎橋で日本料理店を開業予定

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