「伝える」というのは大切なことだが、なかなか難しい事でもある。
「伝え継ぐ」というのはさらにハードルも上がるが、継ぐ人がいないと途切れることもある。
赤ちゃんの時に広島で被爆した西宮市原爆被害者の会会長・武居勝敏さんが急逝されたのが今年の2月だった。
「原爆の恐ろしさを語り継ぎ、核兵器のない世界を見届けたい!」と、会長として被爆者として学校や講演会で自らの体験や、会員から聞き取った被爆体験を伝えて来たが、志半ばで亡くなった。
そんなパートナーの活動を見まもりながらも、「日常生活のあちこちで原爆が身近だった」という子ども時代の経験を語ることができなかった武居ミツ子さんが、武ちゃんが残した仲間と共に体験を語り始めた。
2024年8月25日(日)アプリ甲東集会室で開催された、甲東平和を考える会主催の「平和学習講演会」で”ピースナーレwithたけちゃん”として武居ミツ子さんが登壇した。
”ピースナーレwithたけちゃん”のピースナーレ…とは、平和になれ!の造語。
そして、急逝された武居勝敏さん=たけちゃんと一緒に語り継ぐ決意を示しているという。
ミツ子さんは、戦後生まれ。しかし幼少期のミツ子さんの周りは、被爆したご家族のことも含めて、いつも原爆がすぐそばにあったという。
子ども心に恐ろしい思いをたくさん経験し、夫たけちゃんの活動を見ながらも自らは口を開くことができなかったが、この日はそんな自分のことや家族の話を、お母様やお姉さまが残された手記なども紹介しながらお話された。
ミツ子さんの最初の一歩は始まったばかり。
淡々と話される姿から、79年という長い歳月を感じた。
口を開くことができなかったミツ子さんにとって、きっと必要な時間だったのだろう。
この日は、芦屋にお住いの副島国義さんの「被爆の実相を次世代にどう伝えるか?」というお話もあった。
「被爆の実相を伝える」ことは、誰にでもできる…という副島さんのお話も、実に淡々としていて、それが聞くものの胸に深く飛び込んでくる。
西宮市も、空襲では壊滅的な被害を受けている。
「伝える」努力をされている方も多い。
私たちがそれを読んだり、聞いたり、見たりすることも「伝える」ことの最初の一歩なのだろう。
あなたも、機会があればまずは聞いてみませんか??