小さい頃「つるてんぴーかー」と呼んでいた物は何だったのか???

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甲子園 外山修造 銅像

少し前に、西宮流のサイトにこんなお問い合わせが来ました。

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「昭和40年頃までは間違いなく存在していた?と記憶しています。
甲子園球場の北側、駅の西口と43号線の間にあった、公園のような場所で、
石造りの非常に大きなモニュメント?噴水?のような物があり、
仲間では、ツルテンピーカーと呼んでいた場所がありました。
誰かご存じの方居られませんか?」

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市の情報公開室(市史編集室)で上記の件をお尋ねしてみましたら
下のような写真をお借りする事が出来ました。
これが、上記の質問者のお答えになっているのかどうか分かりませんが
この場をお借りして掲載させて頂きました。

昭和38年10月撮影の甲子園球場前
昭和38年10月撮影の甲子園球場前

まず、昭和38年10月の写真です。
多分、この写真の真ん中に見えているゲートの左横のモニュメントではないか???と勝手に想像。

甲子園

次に昭和44年4月の写真です。
そのモニュメントが少し大きく見えます。信号と少しかぶっていますが・・・・

お尋ねの方が「ツルテンピーカーと呼んでいた。」とおっしゃっているので
左の方に見えるモニュメントのまわりの4つの玉が、そうかな???と思っているのですが・・・・(笑

このモニュメントの真ん中には、阪神電鉄の初代社長であり、阪神タイガースの生みの親と言われたりもする「外山脩造氏」の銅像があったようです。
(どうやら、第二次世界大戦で供出されて無くなったようですね。)

このお問い合わせの数年後、鳴尾の宮っ子の編集員の方からお半死をお聞きすることができ、上記のことが間違っていなかったことが判明!!
つるてんぴーかの詳細な記事はこちらから>>

投稿日時 : 2011-11-16 18:25:20

更新日時 : 2023-11-25 21:45:30

この記事の著者

編集部|J

『西宮流(にしのみやスタイル)』の立ち上げ時からのスタッフ。
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