写真でたどる「ツタの里帰り」 球児たちが守った甲子園のシンボル
甲子園球場の名物、外壁を覆う蔦(ツタ)の歴史
1924年(大正13年)8月に「甲子園大運動場(現阪神甲子園球場)」が完成したが、ツタが植えられたのもその年。
永らく愛されていたツタが覆う甲子園球場だったが、平成の大改修に伴って2006年10月17日みんなに惜しまれながら伐採式が執り行われ、すべてが取り除かれた。
ツタが覆っていた頃の甲子園球場の様子
取り払われたツタを使って、甲子園素盞嗚神社(こうしえんすさのお神社)ではこんなお守りを作られていた。(限定 1000個制作)
ツタが取り除かれた甲子園球場は、外壁工事のための防音パネルで囲われた。
防音パネルはもちろん緑のツタ柄だった。
ツタの里帰り計画
2000年の夏、20世紀最後の選手権大会を記念して、日本高野連、朝日新聞、阪神甲子園球場から、当時の高野連加盟校全4170校に「甲子園のツタ」を贈っていた。
甲子園球場のリニューアルに伴って、その時贈られたツタのうち、元気に育っていた233校から甲子園に「里帰り」する。
それとは別に、移植して育てていた以前のツタも一緒に順番に植えられている。
2008年3月14日「ツタの里帰り式」近畿地方から5校が代表して参加
金光大阪▽琴丘(兵庫)▽大江(京都)▽伊吹(滋賀)▽高田(奈良)▽和歌山工
里帰りで移植されたツタも元気に育っている。
外野レフトスタンド外周には里帰りに参加した233校の学校名を刻んだ記念銘板が設置されている。もしかしたら、貴方の母校の名前があるかも?? ただ、西宮の学校の名前がないのが残念。
2008年秋、新しい銀傘に生まれ変わるために、古い物が取り外された。
同時に照明塔も新しいものに生まれ変わった。
2009年の開幕に備えて、新しい銀傘と照明塔が完成した。
2010年春 移植された若いツタに混じって、古木のツタもある。リニューアル工事のため伐採されたツタの中から、元気なものが再び植えられた。
一際太い幹からは大きなたくましい葉が伸びている。移植前には、秋に紅葉する夏ツタと冬に強いものとが植えられていた。何年後か先のツタの絡まる甲子園球場のために、今回もきっと何種類かのツタが植えられているのだろう。
エコの取り組みの一環としてツタが植えられているが、以前のような緑の球場になるのはいつだろう。