母が生まれ育ったのは、福岡県北九州市。
今年の7月5日に世界遺産登録が決定した「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業、官営八幡製鐵所関連施設」のあるところです。
私もそこで生まれ育ちました。小学校の頃は、毎年この頃になると、井筒屋(北九州市が本社の地方のデパート)で毎年戦争の写真展やミニ記録映画が行われていました。記録映画のナレーション、授業でも先生方は必ず、「8月6日、第1目標は北九州。曇りの天候のため第2目標の長崎市へ落とされた。」戦争の悲惨さと共に、この言葉をずっと聞いていたような気がします。
世界遺産にも登録された北九州市の70年前です。
この写真は孫に伝えたく母が写真1枚1枚にメッセージを書いています。
そのまま母の言葉を皆さんへ伝えします。
モンペ姿で弓道の練習
国語の武井先生が38歳で召集され、翌年硫黄島で戦死された。
庭で将校の指導で銃剣術の訓練を受ける。
県立八幡中学校に出向き、将校の指導のもと歩伏訓練と銃の持ち方、撃ち方を練習した。
将校を迎え分列行進をした。
校庭で焼夷弾が落ちたことを想定して防火訓練をする。
勤労奉仕で田舎に行き慣れない麦刈りをした。
母から預かっている写真、この中に母と、空襲のとき一緒に手を握って逃げた親友、その親友は母の前で火だるまになって亡くなったそうです。その二人がどこかに映っています。やっとその悲しい母の思い出を母の口から、この春聞くことができました。
iPadのアプリで編集して、この機会にぜひ、皆さんに見ていただきたく公開しました。
コメント
やっと八分がたの引越しをすませたところで明和病院入院となりました。
やれやれ 幸い検査で大丈夫のお墨付で退院しました。
iPadがどれだけ癒してくれたか╮(╯-╰”)╭
おかげでipad cafeもよみました。
お母様記録に残すなんてえらい! 忘れてはいけない出来事です。
こんなに激動の時代を過ごした人たちって無形文化財に指定するべきですね!年金つきでね(◍•ڡ•◍)
玲子さま
お引越しのお疲れですか〜
お疲れ様です
玲子さんの言う通りです!!
アナおば