川の上の野球場だった?!甲子の年に生まれた大運動場「甲子園」
阪神甲子園球場は、日本で最初に誕生した大規模野球専用競技場で、プロ野球球団の本拠地の中で最大の収容人数47,508人を誇る。(阪神甲子園球場ホームページより)
大正13年(1924年)8月1日に完成したが、60年に一度の縁起のよい「甲子(きのえね)」の年であったことから『甲子園』と付けられた(当時は甲子園大運動場と呼ばれた)。
また付近一帯も「甲子園」と呼ばれるようになった。
もともと阪神電鉄が武庫川の支流であった枝川(えだがわ)・申川(さるがわ)の廃川敷地を買収して開発していたが、この二つの川の分岐点あたりに建てられたのが甲子園球場。
それまで、もう少し南の競馬場の中にあった二面の野球場が手狭になったことから、夏の大会に向けて突貫工事で建設されたという。
『高校野球の歴史と西宮』の記事はこちら➡
阪神甲子園駅から球場方面を見ると、東側には一段高くなったところに松林が見える。(カフェやレストランが並ぶところ・・・)
そして西側の商業施設(現)『COROWA甲子園』の前に一段高くなった土手がある。
この東西の土手が、まさに枝川・申川の分岐点になっている。
ただ西側(COROWA甲子園の前)の土手にあった松の木などが、2018年の冬に伐採され、昔の土手の名残という景色が少し想像しにくくなってしまったのはとても残念。
今の甲子園筋が枝川だったという痕跡は、実は甲子園駅にある。
当然、駅も川の上に建てられたわけで、ホームを支えている建造物は橋脚の名残。
橋脚にあった銘板に「枝川橋梁」の文字がみえていた。
昭和30年代の航空写真。
甲子園球場の左側に、昔の申川だったところが道路になっているのがよくわかる。
駅前のCOROWA甲子園の前の土手の木がなくなってしまい、かつての申川の松の名残は、今ではテニスコートの所にある1本松だけになってしまっている。
(多分 名残の松だろうと思っている。)
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※古い資料や写真は、西宮市情報公開課よりご提供いただいています。