昔、自分たちが小さい頃は『細工牢』と言っていました。

玉子間似合紙を漉く谷野さん
取材に訪れた私達を、谷野さんは仕事場で和紙を漉きながら待っていてくださった。
『漉槽(すきぶね)』の前に腰を掛け、一定のリズムでゆっくりと確実に紙を漉き上げていく。
「他の所では、紙漉きは女の人の仕事なんですが
名塩では男が漉きます。
泥を混ぜているので、こんな風に溜め漉きでは、
男の力でないと漉けない
んです。」
名塩和紙の特徴は、泥を混ぜた雁皮(がんぴ)和紙。
泥が混ざっているから、長い年月を経ても、虫がつかないしシミも出来ない。色も褪せないのだという。
取材に行った時には、『漉槽(すきぶね)』の中には尼子土が入った黄色い材料が入っていた。(玉子間似合紙が出来る。)
「このあたりの岩盤では
4色の土が出ます。

土を掘った穴が残っている
かなり固い岩盤の中の薄い層なんですよ。
名塩和紙の始祖とも言われている、東山弥右衛門が始めた製法です。」
東山弥右衛門が越前から和紙作りの技術を持って帰り、その弥右衛門の後を追いかけて越前から来た奥さんが、山桜の満開の名塩川に身を投げたと言う話が水上勉の「名塩川」に書かれている。
「その時、奥さんの着物の袂に入っていた泥を使ったという話があります。」
それにしても普通なら沈殿してしまう泥が、この泥は名塩の山水を使うときれいに混ざるらしい。
「木綿の袋で泥を漉すんです。悪い泥は、袋から出ません。」この近くには、昔からその土を採った穴があるらしい。

東山弥右衛門が眠る
「私は2代目なんです。父親が始めたんです。それまでは、藍屋でした。」代々続いた家系かと思ったら、意外な答えが返ってきた。
「私らが小さい頃は、この仕事場を『サイクロウ』と呼んでいたんです。」
どんな漢字か分からず聞いてみたら『細工牢』と書くのだと教えてもらった。
「昔はもっと寒い、暗い小屋でね・・・。まるで牢屋のようだったんですわ。」