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女優 新海百合子さん

 二人のお子様の子育て期から西宮市在住の新海さん。女優の道を選んだきっかけや、演劇への熱意、また西宮について、言葉をていねいに選びながらお話してくださった。


女優 新海百合子さん
1950年東京生まれ。
東京演劇アンサンブル出身。
舞プロモーション所属。

◆最近の主な出演作品
<映画>
『ゴーヤーちゃんぷるー』
 松島哲也監督 2006
『俺は、君のためにこそ死ににいく』
 新城卓監督2007
『ポストマン』
 今井和久監督・長嶋一茂主演
 (2008春公開予定)
<テレビ>
『八丁堀の七人』(テレビ朝日)2006
金曜エンタテイメント
 『妻は多重人格者』
 (フジテレビ)2006
スペシャルドラマ
 『玉蘭』(テレビ朝日)2007
金曜プレステージ
 『浅見光彦シリーズ27竹人形殺人事件』 (フジテレビ)2007。

女優を決意させた父の反対

 新海さんが演劇に興味を抱いたのは学生時代。「自由な校風を謳っている学校に入ったのですが、入ってみたらなんだか額縁つきの自由という感じで、かえって不自由さを感じてしまったんです。」
 「おまけに、そこで私が男女いっしょの演劇サークル作ろうとしたら、学校側が大騒ぎ。こんなことで大人たちが大騒ぎするということは、演劇ってよっぽど力があるんだなと思いました」

 やがて学校を卒業し「芝居の道に進みたい」とお父様に話したとき、そこでもまた猛反対に合う。「精神科医だった父は『演じるっていうのがどういうことか、ボクには理解できない。演じないで、自分と向き合いなさい』と言いました」「私は『演じるということを通して私と向き合いたい』というようなことを言ったと思います」

 「4人兄弟の末っ子ですし、たぶん父は心配だったと思うんです」と今ではお父様の心理を冷静に分析する新海さん。勘当状態での女優修行は大変だったろう。
 「民芸の女優さんのお宅に住み込んで養成所に通いました。ラッキーなことに、2年後くらいからテレビの仕事をいただけるようになりました」

 猛反対されたお父様は亡くなられたが、お父様を遠距離介護されていたときに、女優業をしっかりやっていこうと改めて決意されたそうだ。「父を介護しながら、心配かけたんだな、それなら最後までやらなきゃ、って思ったんです。子育てが大変だとか、できない理由をつけている、というところもあったな、って」

 「いまは反対してくれたことにすごく感謝しています。反対されたからこそ、ここまでやれたのかもしれない」「私たちは子供たちに『何でもやりたいことをやりなさい』『好きなことやったらいいのよ』と言いがちだけど、反対するっていうのはプレゼントなんだな、と今では思います」

自己表現とは、相手の気持ちを読むこと

 ずっと女優を続けてきて、またお父様の介護をきっかけに改めて演劇について考えるなかで、新海さんは「最近わかってきたことがある」という。
 「自己表現とは、相手の気持ちを読むっていうことなんだ、と。たとえば芝居だったら、相手のセリフを聞く。自分が何を言いたいかというのは、相手のセリフの中から生まれてくる。そういうふうに考えると、コミュニケーションの基本がそこにあります」「自分がどういうふうにするか、ということばかり思いがちだけれど、自分にあまりこだわらず、相手の言っていることを聞くことによって、自分が生かされてくるように思います」
 皆の中で自分を出せない、一人になって自分を見つめたい…など"自分"をめぐって悩むとき、良きアドバイスになる新海さんの言葉だ。もしいまお父様とこんな話や演劇談義ができれば、お父様はどのようにおっしゃるだろうか。

現在、長野県にお住まいのお母様を遠距離介護しておられる新海さん。「私がスケジュールを組んで、あちこちに住んでいる兄弟4人がやりくりして通ってます」とのこと。そのスケジュール表を「母をたずねてスケジュール表」と呼んでいるのだとか。そんなユーモアで、大変なことも笑顔を絶やさず話してくださる新海さんだった。
 今年は時代劇のテレビドラマのお仕事から始められた新海さん。
 「脇でやっていくということは、相手がどう出るかということに自分がどれだけリンクできるか、だと思います。そういういい風を吹かせられたな、と思えたら、私としては大成功なんですけど…」
 「でも、いつも私、ああヘタだな、もっとああできたらよかったのにと思いながら帰って来る。だから続けられているのかもしれません」

 待ち時間の多さや急なスケジュール変更、どんなときにも集中力が求められる「過酷な仕事」だということは、多くの俳優さんや女優さんから聞いている。でも、現場の様子をお話してくださる新海さんはとても楽しそうだ。
 「何もないところから自分がひとりの人物を作って行くと、他の人も人物を作って来ている。そして、こういうふうに作りたいという監督がいて、セットを立てて、それを動かし始めて、そしたらそこで悲しいとかうれしいとか、そういうふうなものができていく、っていうのがすごく好き。私は上手じゃないかもしれないけど、やりたい、ぜひ使ってください、って思ってます」

感受性を育ててくれた西宮

 大阪生まれで大阪勤務だったご主人とは別居結婚という形をとっていた時期もあったそうだが、新海さんが芦屋に引っ越してきて、二人目のお子様が生まれる。

兵庫県立芸術文化センターについて、新海さんと同じ事務所の役者さんたちが「マナーがよく、理解度がちがう、とてもいいお客さんのいる劇場」と話されているそうだ。「いまは東京で作ったものを上演されているようだけど、こっちで東京にないものを作ってほしい、こっちの役者を使って…」と新海さん。かつてグループ『不安透夢』で西宮から文化発信していた新海さんの説得力あるひと言だ。
 「上の子を保育所に預け、下の子を見てくれる人を頼み、食事も作っておいて、夜行列車で東京に通いました。仕事をして、くたくたになって帰ってきて、子供たちを見てくれてた人をご自宅に送り届ける…ということを3年くらいしていましたけど、こんなことしていたらつぶれちゃう、と思いました」

 そして、関西でのお仕事は続けながらも、しばらく子育て中心の生活を送ることになる。 「震災の7年前から西宮に住んでいます。西宮には感受性を育ててもらった、という気がします」 「西宮に根っこを持ちながら、東京を外から眺められた、というのも私にとってはすごくよかった」

 「すぐに関西に慣れましたか?」という質問に「やはりお友達からですね」と新海さん。 「お友達を見つけようと通ったフランス語教室に、いたんですよ、田辺聖子さんみたいな人が…(笑)」
 「自分の意見を明快に言って、それでいてウイットがきいてて、あったかくて、ひとり遊びもできる人。その人のあとに付いて、いろんなところに行ったりしているうちに楽しくなって、気がついたら関西になじんでました」

多国籍劇団「ファントム」を主宰

 かつて外国の方ばかりによる『四谷怪談』や『曽根崎心中』などの日本語劇公演があったのを覚えておられる方も多いのではないだろうか。その多国籍劇団「不安透夢(ファントム)」を主宰していたのが新海さんだ。

 そもそもは、交換留学で来たフランス人の女子大生が、新海さん宅にホームステイしたのがきっかけ。彼女が日本人学生のフランス語劇の手伝いをしているのを見て、「日本語を勉強したいなら、あなたは日本語でお芝居したらいいのよ」と新海さんが言うと、「やるやる」と彼女はすぐに大乗り気に。
 「『仲間を連れて来たらね』と返事したものの、絶対に連れて来られないだろうと思ってたら、7人も連れて来たんです。で、彼女が本気なんだから、これはやらなきゃと思いました」

 こうして誕生したフランス、ベルギー、カナダ、インド、中国という多国籍劇団が1作目に選んだのは『四谷怪談』。「セリフにルビを打ってあげても、どこで切るのかわからない人ばかりで…(笑)」
 新海さんは練習場所として西宮の公民館を借り、女優の三島ゆり子さんに演技指導と伊右衛門のお母さん役を頼み、舞台美術をプロに頼み、衣装を着せて…と大忙し。さらにスポンサー探しという仕事もこなし、1年練習を積んで、神戸と東京で公演。新聞などでも大きく取り上げられ、話題となった。

 そんなふうに3作発表したあとに阪神大震災があり、新海さんの自宅は全壊。でも震災後、グループ「不安透夢」は4作目の公演をしている。しかも大阪だけでなく、東京でも。 「長田区でおばあさんを亡くしたという在日の女性が『曽根崎心中のお初をやりたい、本名でやりたい』と言って来られて、これはやらなきゃ、とスイッチが入りました」

 「私たちは元気です、というところも見せたかった」という東京公演だが、思うほどお客さんが入らず、新海さんは赤字を背負ってしまう。
 「やめてしまったというわけではないのですが、自分の基盤がしっかりするまでできないと思ったし、その頃から外国の人たちがテレビに出始めたんですね。日本文化を通して日本を知るということを、みんなもう肩の力を抜いてできている、という感じがして…」
 時代がやっと新海さんに追いついたということかもしれない。

ネパールで「シャクナゲ子供の家」活動

 現在の新海さんにはNPO「シャクナゲ子供の家」代表という顔もある。

ネパールの子どもの家の建設の様子の写真

ネパールの子どもの家の建設の様子の写真


ネパールの子どもの家完成予想模型

ネパールの子どもの家完成予想模型

 震災後、乳がんを患った新海さんが「抗がん剤治療も終わり、やったぁ、1年すぎたぁ」と思ったとき、高校時代からの親友に「ネパールへ行かない?」と誘われる。以前から二人でネパールの子供たちの教育費をサポートしていたものの、子供たちが少しも進級しないので「ネパールに一度見に行ってみよう」ということになったそうだ。

 ネパールで見たのは、宿題もできそうにない暮らしぶり。
 「勉強ができる環境ではなかったんです。私たちがいいことしてるって言ったって所詮こんなものなんだ、と思いました」でも、そこで投げ出してしまわないのが新海さん。「生活もろとも見ないとどうにもならない」と、「子供の家」の建設を計画する。当然そこにはいろいろな問題があり、たくさんの壁にぶつかる。
 「ひとつ間違えると、ネパールを悪くしてしまうことになりかねませんし、私たち何してるんだろうね、って親友と二人、落ち込んだことが何度あったか…」
 「それに、ネパールを通して日本が見えたというか、ネパールで起きていることは日本でも起きているんだ、ということを知りました」

 ネパールに通い、悩み、考え…という日々をすごし、10年計画でやってきた「子供の家」活動も、もう9年目。ネパールの人たちのボランティアの手で、近所の人たちも利用できる「子供の家」が先日できあがった。2階をインドからの留学生に貸すことなどにより、これからはネパールの人たちによって運営されていくそうだ。

生徒から学ぶことも多い朗読教室

 「シャクナゲ子供の家」活動の事務所は芦屋にあり、新海さんはそこで「朗読教室」をされている。

サロンでのチャリティー朗読会

サロンでのチャリティー朗読会

 「事務所の維持費ということもありましたが、ここを女の人が元気になっていくことに使えるといいね、と話してたんです。そしたら、ちょうど音読がブームになり、朗読をやりたいという人いるかな、と思って声をかけたら、3人の方が来られました」

 いま、生徒さんは10人。「発表する機会があったほうがいい」と1年に1回、朗読会を開催している。
 「女優業優先だから、レッスン日変えてね、というのもよくある教室ですが、1年お稽古すると皆さんすごくお上手になって…。アマチュアとプロの差はどこにあるのかなと考えさせられます」

 最初は女優業のほかにいろいろな活動をされているという印象を持っていたが、お話を聞いていると、すべてが1本につながっていく。前に進み、やり始めたことは確実に成果をあげていく新海さん。新海さんが言われるように「人にすごく恵まれました」ということももちろんあるだろうが、壁に突き当たれば真剣に悩み考え抜いて突破していく、自分に素直に、何事も決していい加減にしないという新海さんの姿勢の賜物だと思う。
 何かの拍子で新海さんの中のスイッチが入れば、どんなに大変なことでも、新たな挑戦をされるだろう。そのときにはまたお会いして、お話を聞いてみたい。

掲載日:2008年2月7日

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