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谷崎潤一郎が好んで住んだ阪神間ゆかりの建物を守ることも文学者の役目です。 谷崎文学の語り部 たつみ都志さん

阪神間での谷崎の足跡・・・研究されていないなら私がしなければ。

谷崎潤一郎が昭和11年から18年まで住んでいた「倚松庵」。『細雪』の舞台でもある

谷崎潤一郎が昭和11年から18年まで住んでいた「倚松庵」。
『細雪』の舞台でもある(神戸市東灘区住吉東町) http://isyouan.cool.ne.jp/

 「で、谷崎のことを調べ始めたら、本当に何の研究もされていなかったんですね。
作品論は多少ありましたけど、阪神間での谷崎の足跡の調査が全くなかった。
これは、私がしなければ・・・と思いました。
だって、この西宮で大学生活を送り、ここで教鞭をとっているんですから。

 それから谷崎の動向を調べ始めたんですが、ちょうど同じ頃に西宮の霞町にお住まいの、谷崎愛好者の方が阪神間の谷崎の転居先を調べておられて、これはバッティングするな、と(笑)それで、私は阪神間だけでなく関西での足跡を追い始めたんです。

 その成果を最初に書いた本が『ここですやろ谷崎はん~谷崎潤一郎・関西の足跡』なんです。
それ以来『谷崎の語り部』といわれ始めたようですね。」

 谷崎潤一郎は転居魔といわれていたほど、転々と居を変えたらしい。
文学と場所をキーワードにした研究はきっと大変だっただろう。
その反面、おもしろさも大きかったのではないかとも思う。

 

関西を離れてみて、あらためてその魅力にきづきました

「実は、その最初の本を書いたのは甲府だったんですよ。夫の仕事の都合で一時期武庫川女子大の職を辞して山梨に居ましてね。でも関西を離れたことで改めて関西の魅力に気づき、谷崎と関西を語るのは自分しかいない・・・って思ったんですよ。

 結局3年ほどでこっちに帰ってきたのですが、もとの職場にポストはありませんから、それはもう、かなり就職活動しましたね(笑)本の売込みにあちこちのマスコミにも行きましたよ。それがきっかけでさまざまな業界の方々と知り合いました。そのときからの人間関係が私の財産ですね!!」と断言される。


 それにしても迷いに迷ったとはいえ、一度得た大学のポストを捨てて、山梨に行ったとは。同じ家庭を持つ女性として、谷崎よりも、たつみさんのその生き方のほうに興味がわいてきた。そのときの決断のポイントをお聞きした。

まず「大学教師」をはじめさまざまな自分の属性を紙に書き、捨てられるものからごみ箱に捨てたそうだ。一番初めに捨てられたのは「妻」。最後まで捨てられなかったのは「母」だったらしい。当時、まだ生まれたばかりの長男の子育ては両親が揃っている環境で…と夫の赴任先の山梨に行かれたという。

 
掲載日:2007年07月06日

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