コンデンサ技術を基礎に環境保全・省エネルギーなどを考慮した電気エネルギー技術の製品開発力と推進力
1939年の創業以来、多様なコンデンサ及び関連商品の開発、製造、販売を行っています。「お客様に満足を提供し、社業の発展を通して社会に貢献する」ことを社是とし、電気エネルギーマネージメントにおいて、環境と社会へ貢献することを基本とした商品及び要素技術の開発を積極的に行っています。
同社はフィルムコンデンサ製造の基礎技術を中核として、エネルギーの有効活用と電力品質の改善をキーワードに、高耐熱仕様のフィルムコンデンサ、ハイブリッド・電気自動車用のコンデンサや産業用インバータ向けのコンデンサなどの様々な市場ニーズに応えています。また、国際規格「ISO/TS16949(秋田指月)」を取得し、今後成長していく電気自動車市場に向けて、国内・海外を問わず販路拡大に期待が持てます。
創業者の山本重雄氏が指月製作所を始めたのは1939年(昭和14年)。当時、電気炉用やレントゲン用のオイルコンデンサの開発に国内で初めて成功し、その後は様々な分野でのコンデンサの製造から、今や産業用の電力機器システム製品を扱う会社になっている。
「創業者が山口県萩市の出身で、萩城の別名の指月城からとって会社名となったようです。月に矢羽のロゴ(月を矢羽で指している)も創業者が考えたデザインです。西宮とどういうご縁があったのかはわかりませんが、染殿→久寿川→大社と西宮にこだわって移転してきていますね。」と伊藤薫社長。
これまでのコンデンサの商品変遷などが飾られている会社の一角にあるギャラリーには、創業地の染殿町の建物など創業のルーツが辿れるコーナーが設置されており、創業の精神を大切にしたいという意思が感じられる。
コンデンサとは電気を蓄えたり放出したりするための電子部品で、電子回路では必ず使うと言って良いほど電子機器に欠かせない部品。
能動的な部品ではなく受動的な部品で構造はとてもシンプルだが、高圧・低圧など様々の環境下にあってもエネルギーロスの少ない製品開発を常に求められてきた。同時に小型化することで、コンデンサを置くスペースも小さくなり、それによって価格も抑えるという流れの中で進化してきている。そんな中で指月電機が取り組んだのが自社一貫生産体制の確立だった。
それまでは錫箔と紙を合わせて造る紙コンデンサだったが、1955年(昭和30年)に紙に金属を蒸着させるという技術の開発に成功した。「蒸着という工程は、コンデンサにとって一番大切なところです。その大切なところだからこそ自社で行う。それがお客様に対して品質を保証することになると思います。」
こうして金属化紙(MP)を内製しMPコンデンサの一貫生産を可能にした。
「創業者が技術畑の人でしたから、会社の中には常に技術を高めるという社風が受け継がれています。」と伊藤社長が話す。
1961年(昭和36年)には薄膜フィルムコンデンサの草分けとなる「ラッカーフィルムコンデンサ」を国内で最初に開発した。当時では画期的といえる程の薄さのフィルムが実用となった。こうしてフィルムの製造からフィルムへの蒸着・裁断、そして真空技術など基本加工技術も含めて自社一貫製造を可能にしたことで、体積や質量、重さなど小型化・省スペース化・省エネ化も実現してきている。
数々の日本初の技術は、今や次世代エコカーになくてはならないインバータ用コンデンサやカーエアコンなどの電装品用のコンバータ用コンデンサの開発・製造にも注力し、現在の岡山指月には自動車業界の新たな需要に応えるべく新工場が建設されている。
風力や太陽光の発電、新幹線や電車、建設機械、変電所、工場や生産ライン、産業用ロボット、電子顕微鏡・X線顕微鏡、CTやX線装置、ヒートポンプ給湯器、ダムやトンネル、自動車など、SHIZUKIブランドの活躍場面は多い。
そして今回、様々な顧客のニーズに応えるべく、研究部門も別に立ち上げるという。
「私は幼稚園の時から指月の社員なんです・・・」と笑う伊藤社長が幼いころ、電気店を営んでいたお父様は指月電機に商品を納品し、お母様はそんな指月電機からの内職をされていた。幼稚園児の頃から身近だった指月電機に入社したのも、不思議な縁としか言いようがない。
そんな伊藤社長が目指すのは「働く人を尊重する会社」
人間性を尊重するということは、その人が会社で働いたことを無駄にしないということ。
「不良品を出さない」「無駄な時間を省く」ということが、社員が投入してくれた労力にきちんと報いることになる。「会社も自己実現の場にして欲しいですからね。」