趣味のポタリングでうろうろするには、西宮、芦屋、東灘は見て楽し、走って気持ちの良いところです。
たいていは行きに国道など大通りを行き、帰りは、いわゆるナカミチを縫うように走ります。国道43号、阪神電車と国道2号に包まれるような津門のあたりは、道が「あれぇ?」といった感じで「よれる」ことがあり不思議に思っています。
東西だけでなく、南北も阪急今津線、名神高速と西宮インターがまちを分けているからでしょうか。つねづね気になっていた界隈、皆様のおうちの周りを「きょろきょろ」してみました。
- 出発点の阪神国道駅前から津門川の柳を眺めながら南下してサテ、43号線をどやって渡るのかしらん?と探してしまうほど、歩行者の目から見ると高速道路を含んだ大動脈は、圧倒的な障害物に思えます。
- 福應神社の鳥居を見上げると、抜けるような青空と一緒に高速道路の高架が映りこみます。大きなインターチェンジも、次第に「まちなみ」に馴染むのでしょうか。
- 昔は船が行きかう海であった場所を、今は陸地となりトラックがごうごうと走り抜けています。国道43号沿いには今も数々の神社が御座を少しずつ変えても、その往来の安全を見守っています。
- 大きな道路が密集するエリアでありながら、一筋通りを入るだけでとても静かです。 瓦林公園の秋のバラはネコと戯れていました。
- やっと時期らしい気候に落ち着いた土曜の午後、子らはスポーツに興じ、風は優しくわたり、しかし日差しが容赦なく。 それでもみどりはやがて色づくためにいよいよ公園を包み込んでいます。
- 今回のエリアでは、甲子園三保町の「甲子園二葉教会」を語りましょう家族で公式戦を見に行くときはいつも自転車で甲子園筋をくだり、教会の屋根を見て「きょうも選手のだれにも怪我がありませんように、できればウチが勝ちますようにお守りください」と勝手なお願いをしました。矢野捕手が本塁突入してきたタニシゲに蹴りを食らって負傷退場したのを目の当たりにしてから、お祈りせずにはいられなくなりました。 勝ち負けはともかく、選手の無事は家族の無事と同じ感覚でした。 いまも甲子園に向かうときはこの道を通り、教会の屋根を仰ぎます。高砂市で「入浜権運動」に尽力された高﨑裕士先生とともにご縁をいただいた、元正章さんが牧師をされています。中学時代の恩師、宇治田一也が引き合わせてくれた人たちです。
- その「甲子園筋」は、武庫川が切れて支流になった枝川を鎮めて作った道だと知りました。ブログ「ちょっと歴史っぽい西宮」に詳しく語られています。 甲子園駅はご存知の通り、絶賛改装中につき、 この証拠物件を見ることはできませんでした。 ほんまやや、枝川にかかる、橋だわ。 武庫川から水を取るための、工夫を凝らしめぐらせた用水路が「あれぇ」と道をよれさせていたのですね。 水路を治めて、美しく街を整え、交通の要衝を抱え、すべてを風景に収めている津門界隈、でした。