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ちょっとおさらい 甲子園球場の話

甲子園球場がある街、西宮

甲子園球場
 全国にその名がとどろく阪神甲子園球場。
だが果たして、その所在地を正確に言い当てられる人はいったいどれぐらいいるのだろう。

残念ながらそのような調査を行ったわけではないが、どうも
甲子園球場が西宮市にあるということを知らない人が多いらしい。
それどころか、全国的に見ると、大阪にあると思っている人が多いようだ。

なんとか兵庫県ということを知っている人でも、尼崎市にあると思っている人も多いらしい。熱狂的な阪神ファンがテレビ番組などでよく登場するからだろうか。

 甲子園球場があることを西宮市民は誇らしく思っている。でもそれを声高に言わないところが、なんとも西宮らしいという意見もある。ツタに覆われた伝統ある姿が、
すぐそこにある。ごく当たり前の日常の風景。
縦じまのユニホーム姿で続々やってくるお祭り気分のファンの波を、背広姿の男性たちがするりとかいくぐって改札を出て自宅に向かう。

春と夏には、観光バスで応援に駆けつけた地方の高校生たちの行列の横を、地元の高校生が自転車でスーっと走り抜ける。
暮らしに溶け込む甲子園球場。
この地を目指して全国の高校球児が日々練習に打ち込み、熱い戦いを繰り広げている。
私たち市民も、今、あらためて、甲子園のことを熱く語ろう。

 「ようこそ、西宮へ」 全国から訪れる大勢の人たちを笑顔で迎えるためにも、まずは私たちが、甲子園のファンになろう。

川を埋め立ててつくられた甲子園球場

地図

右が枝川、左が申(サル)川。この一体を埋め立て甲子園ができた。資料提供:甲子園素盞嗚神社

まずは甲子園球場の素晴らしさを。

日本で最初に誕生した大規模野球専用競技場で、プロ野球球団の本拠地の中で最大の収容人数(50,454人 「阪神甲子園球場ホームページ」より)を誇る。
広さも屋外球場としては最大である。

大正13年8月1日に完成した阪神甲子園球場。60年に一度の縁起のよい「甲子(きのえね)」の年にできたことからその名が付けられた(当時は甲子園大運動場)。また付近一帯も「甲子園」と呼ばれるようになった。

阪神電鉄が武庫川の支流であった枝川・申川(さるがわ)の廃川敷地を買収して開発されたのが甲子園球場。
川を埋め立てた場所に建設された。阪神甲子園駅から球場に向かう、土産物店が並ぶ沿道に松が生えているが、かつて川であった名残なのだろうか。

甲子園と言えば、
球児たちが思いでに持ち帰る「甲子園の土」
黒い土の色を不思議に思った人もいるのでは?

 白砂青松と言われるように、阪神間は土が白く明るい。花崗岩(御影石)の白さである。関東ローム層の土の色に慣れた人は一様に驚くという。

 それなのに、なぜ、甲子園の土は黒いのか? 白っぽい土ではボールが見えにくいというのがその理由だ。黒土を混ぜ、走ったりすべり込んだりして試行錯誤の末、プレーするのに最適な硬さや色のブレンドにしているそうだ。

リニューアル計画。あのツタはどうなる?

ツタの伐採式の様子

多くの報道陣も集まったツタの伐採式の様子。長い歴史を見つめてきたツタへの感謝と敬意の思いが感じられる。

甲子園球場は2009年春にリニューアルする。2007年のシーズンオフから第1期工事が始まったが、それに先立って、内野のツタが伐採された。むき出しになった壁は古びていて、胸が傷むような思いだったが、ツタの柄のパネルで覆われ、緑の壁のイメージはかろうじて守られている。あと1年の辛抱だ。

もちろんリニューアル完成後にツタは戻ってくる。既存のツタから採取した種子を育成した苗木を植樹するとともに、既存のツタの株を再移植する計画だ。
また、「ツタの里帰り」も予定されている。
平成12年(2000年)に日本高等学校野球連盟加盟校4170校に贈られ、各校で育まれているツタを寄贈してもらい、球場の外壁に「里帰り」させるという。

いろんな人の思いがこめられたツタはきっと元気よく甲子園球場を覆い、彩ってくれることだろう。
2008年6月に行われた「ツタの里帰り」第1弾については、こちら

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