ホテル夕立荘

昔も今も変わらぬもてなしの心。球児の宿・甲子園ホテル夕立荘

「昔は出場校も、今ほど多くはなかったし、ここらあたりもたくさん旅館があったからね。ただ、後継者問題なんかでどんどん少なくなってしまって、今では高校球児を泊めている西宮の旅館も減りましたね。」と語ってくれたのは、甲子園ホテル夕立荘の島田昭一社長。

甲子園球場のすぐ東側にある旅館。東京代表校の定宿。

球場とは目と鼻の先。高校球児を泊めるようになったのは昭和26年から。ちょうど春の選抜に出場した地元の兵庫県立鳴尾高等学校が最初だったらしい。
当時は、球場内にも宿泊施設があったらしく、最初はそこに泊まっていた鳴尾高校が移動してきてここに泊まったのが高校野球とのかかわりの始まり。

「そりゃあ、そんなにいい施設でもなかったでしょうし、試合があったら音もうるさかったんでしょうね。」その年、鳴尾高校は決勝戦まで勝ち残り、徳島代表の鳴門高校に3-2で破れ準優勝。

昭和26年春、夕立荘の前 鳴尾高校野球部

鳴尾高校が準優勝した昭和26年の春。当時の夕立荘の前で。写真提供:濱崎健様

何泊できるかわからない。商売を抜きにして、高校野球のために

昭和60年頃からは、現在のスタイルの都道府県別の受け入れ方式となった。そのお陰で、それまでの「学校の方は地方大会中に旅館を押さえたいし、旅館は複数の高校から打診があって身動きが出来ないし…」という状況はなくなった。
ただ、一度に35人ほどの団体を受け入れ、何泊するかは不確定…という状況を思うと、高校球児の宿を提供するということは、商売抜きで「高校野球のため、球児のため…」という覚悟も必要なようだ。そんな地元の人たちに支えられて伝統は続いてきたのだろう。

「一番気を使うのは、やっぱり食べ物とコンディション作りですね。
朝一番の試合の時には、6時過ぎには球場に入ります。ということは、朝食は5時とか5時前になりますから。
普通、旅館というのは一泊二食ですが、高校野球の場合は三食ですから大変ですよ。

まあ、最近はお陰でノウハウができましたけどね。」

「学校によって、監督さんによってカラーがありますから、ケース・バイ・ケースですが、メニューについては、学校とも相談しますよ。
でも長年見ていると、よく食べる学校の方が強いような気がしますね。」

夏の暑い時期だから、食事には生ものはなるべく出さないように気をつけられている。
昔は、飲み水にまで気を使ったそうだが、今はスポーツドリンクの差し入れが多い。
「まあ、昔の方がすべてにおいて大らかでしたね…。
今の子の方が行儀もいいし、時間管理もしっかりしていますね。」

それにしても、大会開催の一週間ぐらい前から入り、それが決勝戦まで行くとおおよそ3週間をその旅館で過ごす事になるのだから、「生活面をどう支えるか…に気を使います。」と言われる旅館の気苦労が伝わってくる。

泣くのも笑うのも球児といっしょ。試合当日はアルプス席で応援

こうして旅館に泊まれるのは、背番号をもらえる選手と、それを支える選手の30数名。
部員数の多い学校の場合は、そのほかの部員は応援団として行動する。応援団は殆ど泊まらずに帰るが、試合が立て込んだときには奈良や京都あたりで宿泊するらしい。

勿論、試合当日は島田社長も一緒にアルプス席に。

勝ったときの喜びも、負けたときの悔しさも選手と一緒に味わう。

大勢の選手を泊めてきたから、全員は覚えていられないが、たまに『昔、ここでお世話になりました。』といって来てくれることもあるという。

高校野球が好きで、高校球児を盛り上げるために、その時期お手伝いに来てくださるパートさんも多いらしい。こうしてたくさんの人に支えられて、あの熱戦が続く。

著者 : J2

投稿日時 : 2008-07-10 07:53:03

更新日時 : 2018-07-05 15:49:17

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