
船坂は、有馬温泉の入湯路である有馬街道の中継地として集落が形成されてきた。
有馬街道は、生瀬から太多田川に沿って船坂を抜け有馬温泉に至る街道である。
船坂の地名の由来は、洪水で埋没していた有馬温泉を1191年に復興した仁西上人が、温泉の湯船をこの地で求めて以来「船坂」と呼ぶようになったと言い伝えられている。
船坂では、太多田川が造った礫質の河岸段丘での畑作農業が盛んで、とりわけ
標高が高く昼夜の温度差の大きい気候を利用した船坂はパセリの産地として有名であった。(一番多い時は、大阪の市場の9割を占めたという。)
このほか船坂では寒冷な気候を生かして、船坂川の両岸を中心に寒天作りが盛んであった。
明治18年頃から始まった船坂の寒天作りは昭和初期にピークを迎えたものの、残念ながら平成10年頃を最後に全工場が廃業した。
1992年に西宮北有料道路(盤滝トンネル)が開通し、大きく変貌を遂げ始めているが、「船坂の農地農業を考える会」の活動など、新たに船坂のこれからの模索が始まっている。
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